最近、末っ子がマイクラのキーホルダーにハマっている。
コンビニで売っている、何が出るか分からないタイプのもの。
「あれが欲しい」
「今度はこれが出た!」
そんなふうに、少しずつ集めるのが楽しいらしい。
私も一緒になってコンビニを覗いては、
「ここにもないなあ」
「また探してみようか」
なんて言いながら探していた。
全部揃えなきゃいけないわけじゃない。
たまたま見つけて、ひとつ買って、欲しかったものが出たら喜ぶ。
それだけで楽しかった。
そんな話を、ある日親戚にした。
「最近、このキーホルダー集めてるんよ」
すると、子どもにも買ってあげようと、わざわざお金まで渡してくれた。
ありがたいなと思った。
その日の夜、さっそく買ったことを話すと、向こうも同じキーホルダーを買っていた。
ここまでは、なんとも思わなかった。
同じものを好きになることなんて、いくらでもある。
子ども同士で、
「これ出た!」
「それいいな!」
なんて楽しめるなら、それもいい。
でも、それから少しずつ空気が変わった。
近所のコンビニを回って、何個も何個も買う。
そしてテレビ電話をするたびに、
「見て〜!今回これ当たったんよ」
「こんなに集まったよ」
と、末っ子に見せる。
不思議なのは、親戚の子自身はあまりその話をしないことだった。
一生懸命集めているのは、大人のほう。
その姿を見ているうちに、私はだんだん冷めてしまった。
最初は自分でも、
「真似されたのが嫌なんかな」
と思っていた。
でも、たぶん違う。
同じものを買うことが嫌なんじゃない。
親戚の子が本当に好きになって、夢中になって集めているなら、きっと私は何とも思わない。
嫌だったのは、
「好き」が競争に変わっていく感じだった。
子どもは、案外そんなこと気にしていない。
「いっぱい持ってるなあ」
それくらいなのかもしれない。
なのに、大人のほうが張り合い始める。
こっちが持っていれば、あっちも買う。
あっちがたくさん持っていれば、
「じゃあ、こっちも」
となる。
そうなった瞬間、私は急に面白くなくなる。
「いや、張り合わんでええじゃん」
と思ってしまう。
そもそも、何のために集めていたんだろう。
誰かよりたくさん持つため?
レアなものを見せるため?
「うちのほうがすごい」と思うため?
違う。
ただ、うちの子が好きだったからだ。
コンビニで見つけて、
「あった!」
って喜ぶ顔を見るのが楽しかった。
袋を開ける瞬間にワクワクして、
「これ持ってないやつじゃ!」
って喜ぶ。
本当は、それだけでよかった。
考えてみれば、こういうことって大人の世界にもたくさんある。
最初はただ好きだったはずなのに、人と比べ始めると苦しくなる。
文章を書くのが好きだったのに、誰かのアクセス数が気になり始める。
写真を撮るのが好きだったのに、誰かの「いいね」の数が気になり始める。
仕事が楽しかったのに、誰かの収入を知った途端、自分が足りないような気がしてくる。
暮らしだって、子育てだってそう。
「あの人より上か、下か」
そこに意識が向いた瞬間、
「私はこれが好き」だったはずのものに、勝ち負けが生まれる。
競争することで頑張れる人もいる。
「あの人に負けたくない」が力になる人もいる。
それは、それでいいと思う。
でも私はたぶん、そうじゃない。
誰かと競争になった途端、
「もうええわ」
と、その場から降りたくなる。
勝ちたいわけでも、負けたくないわけでもない。
そもそも勝負をしたくない。
ただ、自分が好きなものを、自分のペースで楽しみたい。
それだけなんだと思う。
今回のことで、
「もう好きなものをいちいち話さなくてもいいかな」
と思うようになった。
それは少し寂しい。
本当なら、
「最近これにハマってるんよ」
なんて、何も考えず話せることだから。
でも、その「好き」が誰かと比べる材料になるなら、わざわざ全部見せなくてもいいのかもしれない。
好きなものは、誰かに認めてもらうためのものじゃない。
誰かよりたくさん持つためのものでもない。
誰かに勝つためのものでもない。
自分が楽しい。
自分が嬉しい。
本当は、それだけで十分なんだと思う。
子どもが何かに夢中になったときも、
「誰よりすごいか」ではなく、
「そんなに好きなんじゃな」
って、一緒に楽しめる大人でいたい。
誰かの「好き」を見つけたときも、それを競争のスタートラインにするんじゃなく、
「いいね」
って言える人でいたい。
だって、
誰かと比べ始めた瞬間、「好き」は楽しくなくなることがあるから。
好きなものくらい、
誰にも勝たなくていい。
ただ、好きでいられたらそれでいい。



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