私は、昔からよく考える。
誰かに言われた一言が引っかかれば、
「なんであんな言い方だったんだろう」
と考える。
自分の気持ちに少しでも違和感があれば、
「なんで私は今、こんな気持ちになったんだろう」
と考える。
何かがうまくいったときでさえ、
「なんで今回はうまくいったんだろう」
と考えている。
たぶん私は、目の前で起きたことを「そういうものか」で終わらせるのが苦手なんだと思う。
だから昔は、そんな自分を少し面倒くさいと思っていた。
もっと何も考えずに生きられたら、楽なのに。
気にしなくていいことまで気にして、
答えの出ないことを何度も考えて。
「考えすぎなんじゃない?」
そう言われれば、確かにそうなのかもしれないと思っていた。
でも最近、文章を書くようになって気づいた。
考える癖って、悪いことばかりじゃなかった。
毎日生活していると、いろんなことが起きる。
でも、そのほとんどは大事件じゃない。
予定していたことができなかった日。
誰かの何気ない一言が嬉しかった朝。
昔やっていたことが、思わぬところで役に立った瞬間。
普通なら、そのまま通り過ぎてしまいそうな出来事ばかりだ。
だけど私は、そこでよく立ち止まる。
「なんで嬉しかったんだろう」
「なんでこんなに引っかかったんだろう」
「これって、本当に悪いことなのかな」
そうやって考えているうちに、ただの出来事だったものに、自分なりの意味が見えてくる。
そして最近は、それを文章にすることが増えた。
すると不思議なことに、
私だけの話だったはずのものが、ときどき誰かの心にも届く。
そこで、やっとわかった。
文章のネタが毎日のように見つかるのは、特別な人生を送っているからじゃない。
きっと私は、
日常の中にある小さな違和感を、そのままにしておけないからだ。
考えることは、ときどき自分を苦しめる。
相手の言葉の意味を考えすぎたり、
まだ起きてもいないことを心配したり。
だから、「考えすぎないほうがいい」という言葉も間違っていないと思う。
手放したほうが楽になれる考えも、確かにある。
でも、考えることそのものまで、自分の欠点にしなくてもいいのかもしれない。
「なぜ?」と立ち止まれるから、人の気持ちを想像できることがある。
違和感を見過ごさないから、自分が本当は何を嫌だと思っているのかに気づけることもある。
当たり前を当たり前で終わらせないから、昨日まで見えなかったものが見えることもある。
同じ一日を過ごしても、
「今日も何もなかった」で終わることもできる。
でも少し立ち止まってみれば、
何気ない会話にも、
失敗した出来事にも、
予定どおりにいかなかった一日にも、
自分なりの「気づき」が隠れている。
私はたぶん、これからもいろんなことを考える。
また考えすぎて、疲れる日だってあると思う。
それでも、
「また考えすぎてる。私って面倒くさいな」
だけで終わらせるのは、もうやめようと思う。
だって、この癖があったから気づけたことも、たくさんあったから。
もしあなたも、
人より少し考えすぎてしまう人なら。
その性格を全部、直さなければいけないものだと思わなくてもいいのかもしれません。
あなたが立ち止まって考えたからこそ見つけられるものが、
きっと、どこかにあるから。
🌙 Lunaのことば

考えすぎる自分を、
嫌いにならなくていい。
あなたが立ち止まるからこそ、
見過ごさずに済んだ大切なものもある。


コメント