『君の名は。』はツインレイを描いた物語?運命の人に出会った私が感じた不思議な共通点

君の名は。 ツインレイ 運命の人 エッセイ

映画『君の名は。』を観て、理由はよく分からないのに涙が出た。

そんな人は多いのではないでしょうか。

私もその一人です。

でも、私が初めて『君の名は。』を観たときは、正直なところ物語の意味をすべて理解できていたわけではありませんでした。

それなのに、なぜかものすごく感動した。

胸の奥がざわざわするような、心が騒ぐような、不思議な感覚が残りました。

それからしばらくして、私は今の夫と出会いました。

そして夫との出会いを経験したあと、もう一度『君の名は。』を観たとき。

初めて観たときには分からなかったものが、私の中で一気につながったんです。

「あ……これ、ツインレイのことなんじゃない?」

もちろん、新海誠監督が『君の名は。』を「ツインレイの物語」と公言しているわけではありません。

ツインレイという存在自体、科学的に証明されているものでもありません。

それでも私は、この映画を観るたびに、夫と初めて出会った日のことを思い出します。

なぜなら私はずっと、瀧や三葉のように「誰か」を探していたからです。

私はずっと「誰か」を探していた

夫と出会うまでの私は、恋愛を繰り返していました。

誰かと付き合っても、

「この人じゃない」

という感覚がどこかにある。

別れて、また違う人と付き合っても、やっぱり違う。

当時の私は、なぜそんなことを繰り返しているのか分かりませんでした。

ただ振り返ってみると、私は恋人が欲しかったというより、ずっと「誰か」を探していたように思います。

その“誰か”が誰なのかは分からない。

顔も知らない。

どこにいるのかも分からない。

それなのに、

「この人じゃない」

ということだけは分かる。

今考えると、不思議な感覚です。

そして、その「誰かを探している感覚」は、夫と出会った日に突然終わりました。

初めて会った夫に「昔、会ったことある?」と聞いた

夫と初めて会ったとき、私は不思議な感覚になりました。

まず感じたのは、

「懐かしい」

という感覚でした。

時間が止まったようにも感じました。

誤解のないように言っておくと、夫の見た目がものすごくタイプだったわけではありません。

一目惚れとも少し違います。

なのに、なぜかものすごく興味を惹かれました。

そして一緒にいると、安心する。

初対面なのに、居心地がいい。

さらに不思議だったのが、夫の目を見たときです。

黒目をじっと見つめた瞬間、突然、頭の中に映像のようなものが浮かびました。

自然の中で、子どもの私たちが一緒に遊んでいる。

年齢は小学生くらい。

二人で仲良く遊んでいて、私はその人と一緒にいることに、とても安心している。

顔もなんとなく見えました。

夢を思い出すような、イメージ映像のような感覚でした。

でも私の中では、そのとき本気で、

「昔、この人と遊んだことがある」

と思ったんです。

だから夫に聞きました。

「あれ? 昔、会ったことある?」

当然、夫から返ってきた答えは、

「初めてだけど」

でした。

私は混乱しました。

だって私の中では、「絶対に昔会っている」という感覚があったからです。

当時の私は「ツインレイ」という言葉すら知らなかった

ここで大切なのは、当時の私はツインレイという言葉を知らなかったことです。

ソウルメイトという言葉くらいは知っていました。

でも特別興味があったわけでもなく、そもそもスピリチュアルそのものに、そこまで関心がありませんでした。

だから、

「ツインレイを知っていたから、夫との出会いをそう思い込んだ」

という順番ではありません。

先に、不思議な体験がありました。

そして夫と付き合い始めてからも、

「今までの恋愛と何かが違う」

という感覚がずっと続きました。

だから私は「運命の人」について調べ始めました。

その過程で初めて知ったのが、「ツインレイ」という言葉でした。

二人の間で続いた、不思議なシンクロ

付き合い始めてからは、シンクロのような出来事も頻繁に起こりました。

食べたいと思っているものが同じ。

話そうと思っていたことが同じ。

行きたいと思っていた場所が同じ。

片方が考えていたことを、もう片方が突然口にする。

そんなことが何度もありました。

あまりに重なるので、スピリチュアルにまったく興味がない夫ですら、

「こわ」

と言うほどでした。

私はそのたびに、

「やっぱり、この人とはどこかでつながっているんじゃないか」

という感覚を強くしていきました。

もちろん、偶然と言ってしまえばそれまでです。

私にも、本当のところは分かりません。

ただ、私たちの間でそういう出来事が何度もあったことは、私自身の体験として残っています。

そして私は「誰か」を探さなくなった

私にとって一番大きな変化は、夫と出会ったあと、ずっと続いていた「誰かを探している感覚」がなくなったことでした。

それまでの恋愛では、

「この人じゃない」

が何度もありました。

でも夫と出会ったときは逆でした。

「この人だ」

と思った。

理屈ではありません。

なぜそう思うのか説明できないのに、

「ずっと探していたのは、この人だった」

という感覚がありました。

それから私は、一度も夫と別れていません。

浮気もしていません。

もちろん、ずっと何の問題もなく幸せだったという意味ではありません。

長く一緒にいれば、不満が溜まることもあります。

喧嘩することもあります。

「もう嫌!」と思うことだってあります。

それでも不思議なことに、

「別の人と一緒になった方が、私は幸せになれるかもしれない」

という発想にはならなかったんです。

どこかでずっと、

「私はもう、この人と一緒にいるんだ」

と分かっているような感覚がありました。

ずっと探していた何かを、ようやく見つけた。

私にとっては、そんな感覚でした。

『君の名は。』の「誰かを探している感覚」と重なった

夫と出会ってから、改めて『君の名は。』を観ました。

すると、最初に観たときとはまったく違って見えました。

この映画には、「誰かを探している」という感覚が何度も流れています。

大切な何かを忘れている。

誰だったのか思い出せない。

名前さえ分からない。

それなのに、

「誰かを探している」

という感覚だけが残っている。

私はそれを観ながら、自分の過去の恋愛を思い出しました。

私もずっと、誰なのか分からない“誰か”を探していた。

そして夫と出会った瞬間、それが終わった。

だから私には、瀧と三葉の物語が単なるファンタジーには見えなかったのかもしれません。

口噛み酒のシーンを観て、夫の目を見た日のことを思い出した

特に私が強く反応したのが、瀧が口噛み酒を飲み、三葉にまつわる記憶へと引き込まれていく場面です。

あの映像を観たとき、私は夫と初めて出会った日のことを思い出しました。

夫の黒目を見つめた瞬間。

突然、知らないはずの「昔の記憶」のような映像が浮かんできた。

もちろん映画と私の体験は、まったく同じものではありません。

それでも私にとっては、あの「記憶の中へ吸い込まれていくような感覚」が、とてもよく似ていました。

だからあの場面を見ると、今でも胸が揺さぶられます。

新海誠監督が『君の名は。』で描きたかった「運命の人」

興味深いのは、新海誠監督自身が『君の名は。』の制作について、「人生には出会うべき相手がいる」というテーマを描きたかったと語っていることです。

新海監督は2016年のインタビューで、『君の名は。』の着想について、「運命の人」というテーマをより長い物語として描きたかったと説明しています。

また別のインタビューでは、10代、20代の頃に「どこかに運命の相手がいるのではないか」と葛藤していた経験が、男女の出会いやすれ違いを描く背景にあるとも語っています。

つまり、『君の名は。』が公式に「ツインレイを描いた映画」というわけではありません。

でも少なくとも、「出会うべき相手」や「運命の人」というテーマが、この作品の根底にあることは監督自身の言葉からも分かります。

だから私は、この映画にツインレイを重ねてしまうのかもしれません。

『君の名は。』に感動する人と、そうではない人がいる理由

『君の名は。』が公開された頃、私は少し不思議に思っていました。

ものすごく感動している人がいる一方で、

「そんなに感動する?」

という人もいたからです。

同じ映画を観ているのに、どうしてここまで感じ方が違うんだろう。

以前の私は、それを「魂のレベル」の違いなのではないかと考えたこともありました。

でも今は、少し違う捉え方もしています。

もしかすると人には、それぞれ心が強く反応するテーマやタイミングがあるのかもしれません。

私自身、夫と出会う前に『君の名は。』を観たときから、理由も分からず強く心を動かされました。

でも夫と出会ったあとに観たことで、初めて「あのとき私は、ここに反応していたのかもしれない」と思いました。

それを「魂が覚えていた」と捉えるのか。

無意識が何かに反応したと考えるのか。

単なる偶然だと考えるのか。

答えは人それぞれでいいと思います。

ツインレイは本当に存在するのか、私にも証明はできない

私は夫をツインレイだと感じています。

でも、それを誰かに証明することはできません。

初対面の夫を見て「懐かしい」と感じたこと。

目を見た瞬間、子どもの頃に一緒に遊んでいたような映像が浮かんだこと。

ずっと探していた「誰か」を、やっと見つけたように感じたこと。

付き合い始めてから、不思議なくらいシンクロが続いたこと。

そして、それまで何度も繰り返していた「この人じゃない」という感覚が、夫と出会った瞬間になくなったこと。

これらが何を意味しているのか、私には分かりません。

でも、それでいいとも思っています。

自己内観を続けていると、「正しい答えを出すこと」よりも、

「私はなぜ、こんなにも心を動かされたんだろう?」

と自分に問いかけることの方が大切なのではないかと思うようになりました。

理由もなく心が震えるものには、自分を知るヒントがあるのかもしれない

初めて『君の名は。』を観た頃の私は、ツインレイという言葉を知りませんでした。

まだ夫にも出会っていませんでした。

映画の意味を完全に理解できたわけでもありません。

それでも、なぜか心が騒ぎました。

そしてその後、夫と出会いました。

初めて会ったはずなのに、懐かしかった。

「昔、会ったことある?」

と本気で聞いた。

そして私は、それまでずっと探していた“誰か”を探さなくなりました。

だから今、『君の名は。』を観ると私は思います。

もしかすると私たちは、自分でも覚えていない何かに心を動かされることがあるのかもしれない。

それを魂の記憶と呼ぶのか。

運命と呼ぶのか。

ただの偶然と呼ぶのか。

私には分かりません。

でも、理由も分からないのにどうしようもなく惹かれるもの。

なぜか懐かしく感じる人。

説明できないほど心が震える作品。

そんなものに出会ったときは、すぐに答えを決めなくてもいいのだと思います。

「どうして私は、これにこんなにも心を動かされるんだろう?」

そうやって自分の内側を見つめてみる。

そこには、自分でもまだ気づいていなかった「本音」や「記憶」や、大切にしているものが隠れているのかもしれません。

『君の名は。』を観るたびに、私は夫と初めて目が合った日のことを思い出します。

ずっと探していた人を、

ようやく見つけたような、

あの不思議な感覚を。

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