私は昔から、承認欲求が強い。
人に認められたいし、「すごい」と思われたい。
こうやって書くと、なんだか格好悪い気もするけれど、たぶん昔からずっとそうだった。
特に、自分のことを昔から知っている人たちには、
「Lunaはやればできる子だったんだ」
と思ってほしい。
私は子どもの頃、本当にヤンチャだった。
何かしら問題を起こしては怒られて、周りから見れば「変な子」「出来の悪い子」だったと思う。
母からも、褒められるより怒られたり、否定されたりすることの方が多かった。
ただ、テストでいい点を取った時なんかには、たまに言ってくれた。
「Lunaは、やればできる子なんじゃけ」
私はその言葉が嬉しかった。
今でも覚えているくらいだから、当時の私にとって、とても欲しかった言葉だったんだと思う。
でも、普段は失敗することの方が多い。
大人になってからも、仕事はなかなか続かなかった。
何かを始めては辞めて、また違うことを始める。
そんな自分を見ながら、いつの間にか私自身も、
「私は何をやっても続かない」
と思うようになっていた。
それでも私は、ずっと成功したかった。
お金を稼ぎたい。
自分の作ったものをたくさんの人に届けたい。
いつか本も出したいし、自分のメディアだって大きくしたい。
そして、昔の私を知っている人たちに、
「Luna、すごいな」
と言ってもらいたい。
だから私はずっと、誰かを見返したいんだと思っていた。
「あの時、私のことを出来の悪い子だと思っていたでしょ?」
「ほら、私だってできたでしょ?」
そんなふうに、いつか成功して証明したいんだと思っていた。
でも、自分の気持ちをひとつずつ掘り下げていったら、少し違うことに気づいた。
もし将来、本当に自分がやりたいことを形にできたとして。
たくさんの人に文章を読んでもらえて、仕事もうまくいって、昔から私を知っている人たちから、
「やっぱり、Lunaはやればできる子だったんじゃな」
と言われたら、私はどう思うんだろう。
想像してみたら、
「ざまあみろ」
ではなかった。
たぶん私は、泣きそうになる。
そして昔の自分に声をかけられるとしたら、こう言うと思う。
「よく頑張ったね」
「これで、あの頃感じたつらい気持ちも、もう浄化できるんじゃない?」
「ほら。みんなもう、Lunaのこと“すごい子だ”って思ってるよ」
そこで初めて分かった。
私は、誰かを見返したかったんじゃない。
あの頃の自分を、安心させたかったんだ。
怒られてばかりだった自分。
「また何かやった」と思われていた自分。
何をやってもうまく続けられなくて、自分に自信を持てなかった自分。
そんな過去の私に、
「大丈夫だったよ」
と伝えたい。
周りの人からの「すごいね」は、きっとそのための証拠なんだと思う。
別に、世の中のみんなに私の名前を知ってほしいわけじゃない。
有名人になりたいわけでもない。
私が認めてほしいのは、家族やパートナー、友達、子どもたち、昔の友人。
これまでの私を知っている人たちだ。
もし夫が表に立って、私の考えた事業が世間から全部「夫の功績」だと思われても、それは案外どうでもいい。
ただ、昔から私を知っている人に、
「旦那さん、すごい人なんじゃな」
と言われたら、
「これ、私のアイデアなんで〜」
とは言って回ると思うけれど。
そこはしっかり回収したい。
でも、それでいい。
私が欲しいのは、知らない誰かからの名声ではない。
昔の私を知っている人に、今の私を見てもらうこと。
そして、その人たちの反応を通して、過去の自分に、
「ほら。あなたは出来の悪い子なんかじゃなかったよ」
と言ってあげることなのかもしれない。
承認欲求という言葉には、どこか悪いイメージがある。
「人の評価なんて気にしなくていい」
「自分で自分を認められればいい」
そんな言葉もよく聞く。
もちろん、それも大切だと思う。
でも私はまだ、人に認められたい。
だったら今は、それを無理に手放さなくてもいい。
「あの頃の自分に、いつか違う景色を見せてあげたい」
その気持ちが私を動かしてくれるなら、それも立派な原動力だと思うから。
いつか本当に、自分が思い描いている場所までたどり着けたら。
その時は、誰かに勝ち誇るんじゃなくて、
昔の私の隣に座って、
「よく頑張ったね」
と、言ってあげたい。
そして最後に、
「ほらね。やればできる子だったじゃろ」
って。
たぶん私は、その言葉をずっと待っていたんだと思う。



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