私はずっと、自分のことを「忍耐力がない人間」だと思っていた。
仕事はコロコロ変わる。
嫌なことがあると休む。
人間関係でしんどくなると、その場所から離れたくなる。
何か問題が起きれば、誰かに愚痴を言ったり、環境や相手のせいにしたり。
それでも苦しいと、今度は自分を責める。
「また逃げた」
「ほんと何にも続かない」
「なんでもっと頑張れないんだろう」
周りからも、よく言われてきた。
「ほんと仕事コロコロ変えるよね」
「何にも続かんよな」
「忍耐力なさすぎ」
「もう少し頑張ったら?」
言われるたびに、
やっぱり私はダメなんだ。
そう思っていた。
でも、自己内観をするようになってから、私は少しずつ過去の自分に対する見方が変わっていった。
今なら思う。
私は忍耐力がなかったわけじゃない。
ただ、自分の感情にものすごく素直だった。
そして、その感情が何を伝えようとしているのかを知らなかっただけだった。
- 自己内観をする前の私は、嫌なことがあると逃げていた
- 仕事を休むと、そのまま行けなくなっていた
- 今の仕事を休んだときも、昔と同じ怖さが出てきた
- でも、すべての仕事を「逃げずに続ければいい」とは思わない
- 工場の休憩時間が、私は本当に嫌だった
- 「ここに私の居場所はない」は、子どもの頃にも感じていた
- 昔の私に会えるなら、「辞めてもいいよ」と言う
- 昔の私は「肩書き」で仕事を選んでいた
- 自己内観のきっかけは、夫への怒りだった
- 悔しくて、悲しくて、全部殴り書きした
- 泣いていたのは、今の私ではなく、昔の私だった
- 「否定された」が、「ただの意見」に変わった
- 自己内観を始めて、「自分の取扱説明書」が分かってきた
- おしゃれに見られたかった私が、服を2パターンにした
- 家計管理も「一般的な方法」をやめた
- 発信も、「稼げるもの」から「好きなもの」へ変わった
- 私が人生を選ぶ基準は「しんどくならない?」になった
- 「何も続かない自分」への誤解が解けた
- 自分を知ると、人生で選ぶものが変わった
- 今でも悩む。でも、もう「分からない怖さ」ではない
- Lunaのことば
自己内観をする前の私は、嫌なことがあると逃げていた
昔の私は、感情が大きく動くと、それをどう扱えばいいのか分からなかった。
腹が立てば、相手のせい。
仕事が嫌になれば、環境のせい。
誰かに愚痴を聞いてもらって、それでもスッキリしなければ現実逃避。
そして最後には、
「こんな自分が嫌い」
と自分を責める。
人間関係も。
仕事も。
お金も。
恋愛も。
今振り返ると、私はずっと「逃げる」を繰り返していたように思う。
特に仕事は、分かりやすかった。
仕事を休むと、そのまま行けなくなっていた
若い頃の私は、仕事をズル休みすることがあった。
「今日、仕事したくないな」
そう思うと、本当に休んでしまう。
そして問題は、その次の日だった。
一度休むと、
「絶対ズル休みだと思われてる」
「ほんま迷惑って言われてそう」
「また休んだって呆れられてるだろうな」
そんなことばかり考える。
実際、当時は休みを繰り返していたから、周りの態度が冷たくなったこともあった。
だから余計に怖くなる。
休む。
気まずくなる。
みんなの目が怖くなる。
もう一日休む。
さらに行きづらくなる。
そして最後には、仕事を辞める。
何度もこのパターンを繰り返した。
そのたびに、
「また逃げた。私は忍耐力がない」
と思っていた。
今の仕事を休んだときも、昔と同じ怖さが出てきた
今の仕事でも、子どものことなどで休むことがある。
そんなとき、昔と同じような考えが出てくることがあった。
「Lunaさんって、ほんとよく休むよね」
「絶対ズル休みでしょ」
「ほんま迷惑よな」
実際に誰かがそう言っているところを聞いたわけじゃない。
それなのに、頭の中ではそんな会話が勝手に再生される。
そして、仕事に戻るのが怖くなる。
でも実際に行ってみると、みんな普通だった。
次に休んだときも怖かった。
でも戻ってみたら、やっぱり普通だった。
そんな経験が少しずつ増えていった。
そこで、やっと気づいた。
私は今の職場を見ているようで、昔の職場を見ていたのかもしれない。
昔、ズル休みを繰り返していた自分。
休んだことで周りの態度が冷たくなった経験。
「また同じことになるかもしれない」
そんな過去の記憶を、今の職場に重ねていた。
今の私は、あの頃の私とは違う。
休む理由だって違う。
そして、今の会社の人たちも、昔の職場の人たちではない。
そこが分かったとき、
「なんだ。今の仕事から逃げる必要はないんだ」
と思えた。
でも、すべての仕事を「逃げずに続ければいい」とは思わない
ここは、自己内観をするようになって大きく変わったところでもある。
昔の私は、
仕事を辞める=逃げる
だと思っていた。
でも今は違う。
辞めた方がいい仕事だってあると思っている。
たとえば、昔働いていた工場。
あの仕事は、今の私でもたぶん続けたくない。
工場の休憩時間が、私は本当に嫌だった
工場で働いていた頃、休憩時間になると、みんなそれぞれのグループに分かれていた。
私は新人だった。
少し人見知りもあって、自分から輪の中に入っていくことができなかった。
だから、一人でご飯を食べていた。
周りでは、みんな楽しそうに喋っている。
その中で、自分だけ一人。
あの時間が本当に苦痛だった。
それが嫌で仕事を休んだこともあったと思う。
不思議なのは、私は一人で飲食店に行くことは平気だということ。
一人でご飯を食べること自体が嫌だったわけじゃない。
じゃあ、何がそんなに嫌だったんだろう。
今なら分かる。
「ここに私の居場所はない」
そう感じることが、苦しかったんだと思う。
「ここに私の居場所はない」は、子どもの頃にも感じていた
さらに辿っていくと、同じような感覚を子どもの頃にも感じていた。
父は、私にはとても厳しかった。
でも、兄には優しかった。
父方の祖父母も、兄には優しかった。
兄には誕生日プレゼントがあるのに、私にはない。
私は説教されることが多かった。
子どもの私には、その違いが理解できなかった。
だから自分なりに理由を作った。
「私がブスだからなんだ」
兄は「可愛い、可愛い」と言われて育っていた。
だから、
「私は可愛くないから、同じように大切にしてもらえないんだ」
そう思っていた。
それが本当の理由だったのかどうかは分からない。
ただ、子どもの私はそう受け取っていた。
だから大人になって、
「みんなには仲間がいるのに、自分だけ一人」
という状況になると、
ただ休憩時間に一人でいる以上の苦しさを感じていたのかもしれない。
また、
「ここに私の居場所はない」
という感覚が蘇っていた。
昔の私に会えるなら、「辞めてもいいよ」と言う
昔の私は、そんな自分を責めていた。
「また休んだ」
「また仕事が続かなかった」
「なんで私はこんなに忍耐力がないんだろう」
でも今、工場の休憩室で一人でご飯を食べている昔の自分の隣に座れるなら、私はこう言うと思う。
「休んでもいいよ。なんなら、辞めなよ」
「ちゃんと自分に合う場所はあるから」
と。
工場という働き方は、そもそも私には合っていなかった。
自己内観をして自分の性格を知った今なら、もっとよく分かる。
私は、一人で自由に動ける仕事が好き。
必要以上に人間関係が濃くない方がいい。
自分で考えて、自分のペースで動きたい。
だから今の配達の仕事は続いている。
配達している間は一人。
何を考えていてもいい。
誰と電話していてもいい。
自分である程度動き方を決められる。
外で働くなら、私にとってかなり理想に近い環境だと思っている。
だから今の仕事で「休んだから行きづらい」という感情が出ても、
仕事そのものが嫌なわけではない
と分かる。
だったら、辞める必要はない。
ここは向き合ってみようと思える。
昔の私は「肩書き」で仕事を選んでいた
そもそも昔の私は、自分に合う仕事が何なのかを知らなかった。
「土日祝休みがいい」
「サロン系で働いてみたい」
「スーツを着て仕事してみたい」
そんな理由で仕事を選ぶこともあった。
肩書きや制服、条件。
「なんか良さそう」
で始める。
でも実際に働いてみると、
「なんか違う」
となる。
そして、行きたくなくなる。
当時の私は、それを「飽きた」「続かなかった」としか考えていなかった。
でも今なら思う。
心はちゃんと「これ、あなたには合ってないよ」と教えてくれていたのかもしれない。
私は忍耐力がなかったんじゃない。
ものすごく素直だった。
ただ、自分の感情が何を意味しているのかを知らなかった。
自己内観のきっかけは、夫への怒りだった
私が自己内観にハマったきっかけも、人間関係だった。
以前の私は、夫に何か言われて傷つくたびに、
「言い方考えて」
とよく言っていた。
夫の伝え方が変われば、私はこんなに傷つかないのに。
本気でそう思っていた。
でも、伝え方が上手じゃない人もいる。
思ったことが、そのまま口から出る人もいる。
何度「言い方を変えて」と言っても、変わらないことだってある。
あるとき、
「もう相手を変えようとしても無理なんだ」
と思った。
悔しくて、悲しくて、全部殴り書きした
夫に言われたことが悔しかった。
悲しかった。
腹が立った。
でも、その感情を相手にぶつける代わりに、紙に全部書いた。
綺麗な文章なんて書いていない。
ただ、思ったことを殴り書きした。
「なんでこんなに腹が立つんだろう」
「何がこんなに悲しいんだろう」
そうやって感情を辿っていった。
すると突然、父親から否定的な言葉を言われていた頃の記憶とつながった。
泣いていたのは、今の私ではなく、昔の私だった
そこから私は大泣きした。
でも不思議なことに、そのときにはもう夫への怒りはほとんどなかった。
泣いていたのは、
父親から言われた言葉が辛かった頃の私だった。
ずっと否定されているように感じていた、子どもの頃の私。
「あぁ、私、これがずっと悲しかったんだ」
そう思った。
思い切り泣いたあと、心が癒されていくような感覚があった。
そこで初めて知った。
感情の根っこまで辿ると、こんなに心って軽くなるんだ。
私はそこから、自己内観にどハマりした。
「否定された」が、「ただの意見」に変わった
以前の私は、自分と違う意見を言われると、
「否定された」
と強く反応していた。
否定されたと感じる。
傷つく。
腹が立つ。
そして今度は、私が相手を否定する。
そんな悪循環もよくあった。
でも自己内観をするようになって、自分がなぜ「否定」にこんなに強く反応するのかが分かってきた。
すると少しずつ、
「あぁ、これはただ相手の意見か」
と思えるようになった。
相手と意見が違っても、私自身を否定されたわけではない。
それだけで、人間関係はずいぶん楽になった。
自己内観を始めて、「自分の取扱説明書」が分かってきた
自己内観を続けていると、
自分が何を好きなのか。
何が嫌いなのか。
何が得意なのか。
何が不得意なのか。
どんな環境で心が疲れるのか。
どんな暮らしがしたいのか。
少しずつ分かるようになった。
すると、選ぶものまで自然と変わっていった。
おしゃれに見られたかった私が、服を2パターンにした
昔は、おしゃれだと思われたかった。
服もたくさん買った。
小物も買った。
髪型もよく変えた。
その分、お金もかかっていた。
今は、ほぼ2パターンを制服のように着ている。
別におしゃれではない。
でも、毎日服を選ばなくていい。
めちゃくちゃ楽。
そもそも自己内観をするようになって人間関係もかなり変わり、今は友達も一人だけ。
おしゃれして見せる相手も、そんなにいない。笑
家計管理も「一般的な方法」をやめた
家計管理もそうだった。
昔は、
「家計簿をつけよう」
「先取り貯金をしよう」
と、よく聞く方法に何度も挑戦した。
でも続かなかった。
今は、自分がどういう状態ならお金を管理しやすいのかを考える。
私は余裕があると使いやすく、予算がはっきりしている方が工夫しやすい。
だから今は、自分が管理しやすいようにかなり細かく予算を区切っている。
すると、以前より食費も抑えやすくなった。
「正しい家計管理」ではなく、
「私が続けられる家計管理」
を選ぶようになった。
発信も、「稼げるもの」から「好きなもの」へ変わった
発信も昔は、
「何が利益になりやすいか」
を中心に考えることが多かった。
でも、続かなかった。
今は違う。
私は自己内観が好き。
何か感情が動くと、
「なんでだろう?」
と考えること自体が楽しい。
そこで気づいたことをエッセイにする。
だから書くことがなくならない。
無理にネタを探している感覚もない。
自分が納得できるものができたときに発信する。
今の私には、このやり方が合っている。
私が人生を選ぶ基準は「しんどくならない?」になった
今、何かを選ぶときに私が一番考えることがある。
「これ、続けたら私の心はしんどくならない?」
できるかどうかだけじゃない。
稼げるかどうかだけでもない。
人からどう見えるかでもない。
自分の性格を知ったうえで、
「これは私に合ってる?」
と考える。
私はたぶん昔から、自分の心にものすごく素直な人間だった。
合わないものは、本当にしんどくなる。
だから今は、その性格を直そうとは思わない。
むしろ最初から、自分がしんどくなりにくいものを選ぶ。
「何も続かない自分」への誤解が解けた
自己内観をする前の私は、自分のことをずっと誤解していたんだと思う。
忍耐力がない。
努力できない。
すぐ逃げる。
何も続かない。
でも一つずつ、
「なんで?」
を辿っていった。
すると出てきたのは、
私が思っていたような「ダメな私」ではなかった。
素直で、純粋で、子どもみたいな私だった。
嫌なものは嫌。
好きなものは好き。
違うと思ったら、違う。
ただ、その気持ちをどう扱えばいいのか知らなかった。
だから私は、
「行きたくない」
という心の声を、
「私は忍耐力がない」
と翻訳していた。
自分を知ると、人生で選ぶものが変わった
今の私は、昔よりずっと自分のことが分かる。
何が好きで。
何が嫌いで。
何が得意で。
何が不得意で。
どんな働き方が好きで。
どんな人と一緒にいたくて。
どんな暮らしをしたいのか。
それが分かってくると、自然と選ぶものが変わった。
だから今は仕事も続いている。
副業も楽しくできている。
好きな人と一緒にいる。
人間関係のストレスも以前よりずっと少ない。
私は今、やっと自分なりの豊かな人生を味わえている気がする。
今でも悩む。でも、もう「分からない怖さ」ではない
もちろん、悩みがゼロになったわけではない。
お金に困って、
「どうしよう」
となることだってある。
でも、以前のように見ないふりをして逃げ続けることは減った。
何が怖い?
実際、何に困ってる?
どうなれば安心できる?
じゃあ今できることは?
そうやって一つずつ見ていけば、漠然とした恐怖が、具体的な問題に変わっていく。
具体的な問題になれば、解決策を考えられる。
Lunaのことば

昔の私は、逃げてばかりの自分が大嫌いでした。
でも今は、あの頃の私に、
「もっと頑張れ」
とは言わないと思います。
「どうしてそんなに嫌なの?」
「何が怖いの?」
「本当はどうしたいの?」
そう聞いてあげたい。
逃げることが悪いわけじゃない。
向き合った結果、
「これは私には合わない」
と分かることだってあります。
大切なのは、無理してそこに居続けることではなく、
自分がなぜそこから離れたいのかを、自分だけは知ってあげること。
私は自己内観を通して、自分のことを少しずつ知りました。
そして、自分を知れば知るほど、
昔嫌いだった自分への誤解が解けていきました。
もしかすると、
「何も続かない」
「また逃げてしまった」
と責めている自分にも、
まだ自分自身が知らない理由があるのかもしれません。
知らないものは、怖い。
でも、ちゃんと見てみると、
思っていたほど怖いものではないこともあります。
私は今、
自分で自分を理解してあげられるようになったことが、自己内観を始めて一番よかったこと
だと思っています。
全て向き合って見ていけば、
私があれほど怖がっていたものの正体も、少しずつ分かっていきました。
そして気づきました。
怖かったのは、知らなかったからなのかもしれない。


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