「やればできる子」だった私が、ギリギリまで動けない大人になった理由

やればできる子 ギリギリまで動けない大人 エッセイ

「Lunaは、やればできるんじゃけ」

子どもの頃、母によく言われていた言葉だ。

そして大人になった今も、似たような言葉を夫から言われる。

「やればできるんじゃけ」

私はずっと、この言葉を褒め言葉として受け取っていた。

実際、嬉しかった。

自分でもそう思っていた。

私は、やればできる。

本気を出せばできる。

追い込まれたら、なんとかできる。

でも最近、ふと思った。

「やればできる」という言葉は、その前に「できていない私」がいるから成立する言葉なんじゃないか、と。

私は昔から、ギリギリにならないと動けない。

夏休みの宿題もそうだった。

夏休みが始まったばかりの頃は、まだ時間がある。

明日やればいい。

まだ大丈夫。

そう思っているうちに、気づけば夏休みは終盤。

大量に残った宿題が親にバレて、怒られる。

そこで初めて、本気になる。

数日間、必死になって宿題をする。

そして、なんとか終わらせる。

すると言われる。

「ほら、やればできるんじゃけ」

学校の提出物もよく忘れた。

親に渡さなければいけないプリントも、なぜか出せない。

出せばいいだけなのに。

出せば怒られないのに。

その「簡単なこと」が、私にはずっと難しかった。

大人になった今も、あまり変わっていない。

会社に提出するものを忘れる。

子どもの学校の提出物を忘れる。

そして、お金の支払いも後回しにしてしまうことがある。

期限を見ても、

「まだ余裕があるから大丈夫」

と思ってしまう。

本当にお金がなくなって、「もう無理かもしれない」と思った瞬間、私は突然変わる。

無駄遣いをやめる。

冷蔵庫の中身を確認して献立を考える。

家計を計算する。

副業にも本気で取り組む。

そして不思議なことに、追い込まれた私は強い。

短期間で仕事を探したり、収入を作ったり、なんとか状況を立て直そうとする。

そこでまた思う。

「ほら。私、やればできるじゃん」

でも危機を乗り越えると、続かない。

また少しずつ元に戻っていく。

私はずっと、それを自分の欠点だと思っていた。

「私は継続できない人間なんだ」

「どうして毎日コツコツできないんだろう」

何度もそう思った。

でも今回、自分のことを掘り下げていて、別の可能性に気づいた。

私は「続けられない人」なんじゃなくて、

危機が来たときに、一気に動くことを繰り返してきた人なのかもしれない。

そして、もうひとつ気づいたことがある。

掃除も同じだった。

私は昔から、毎日少しずつ掃除するのが苦手だった。

かなり散らかってから、一気に掃除する。

汚ければ汚いほど、掃除したあとの変化は大きい。

すると家族が、

「うわー、綺麗になったな!」

と言ってくれる。

私は、それが好きだった。

今でもどこかに、

「汚いほうが、綺麗にしたとき目立つ」

という感覚がある。

そこで、ようやく気づいた。

私はもしかすると、ずっと「変化」を誰かに見つけてもらいたかったのかもしれない。

毎日部屋が綺麗でも、誰も驚かない。

提出物を期限内に出しても、誰も褒めない。

毎月きちんと支払いをしても、それは「普通」のこととして過ぎていく。

でも、できていなかった私が突然できると、人は気づいてくれる。

散らかった部屋をピカピカにする。

ギリギリだった宿題を全部終わらせる。

お金がない状態から必死で稼ぐ。

変化が大きければ大きいほど、

「すごい」

「やればできるじゃん」

と言ってもらえる。

そして私は、その言葉で初めて自分の力を確認していたのかもしれない。

だから、「できていない私」と「できる私」がいつもセットだった。

もちろん、これがすべての原因だとは思っていない。

私は昔から忘れ物も多いし、重要だと分かっていても、もっと優先すべきことがあるような気がして後回しにしてしまうことも多い。

そういう自分の特性も関係しているのだと思う。

ただ、そのたびに怒られ、

そのたびに追い込まれてから頑張り、

そのたびに「やればできる」と言われてきた。

その繰り返しの中で、

「追い込まれてから結果を出す私」

が、いつの間にか私らしさになっていたのかもしれない。

だから、何も問題が起きていない状態に少し馴染めない。

支払いは全部終わっている。

部屋もそこそこ綺麗。

提出物も期限内。

仕事も毎日淡々と進んでいる。

誰にも怒られない。

誰にも「やればできるじゃん」と言われない。

本当は、それが理想のはずなのに。

そこには、大逆転がない。

「できなかった私」がいないから、「できる私」を証明する瞬間もない。

でも、もう誰かに証明しなくてもいいのかもしれない。

これからは、

「できていない私」を作ってから頑張らなくてもいい。

誰にも気づかれなくても、提出物を期限内に出せた自分を、自分が見つければいい。

支払いを何事もなく終えた自分に、

「今月もちゃんとできたな」

と言ってあげればいい。

部屋がそれほど汚れていないうちに片付けられたなら、

「今日は大逆転する必要がなかったな」

と思えばいい。

今まで私は、

危機を作る → 本気になる → 結果を出す → 誰かに評価される

ことで、自分の「できる」を確認してきた。

これからは、

自分で小さな課題を作る → やってみる → 自分で気づく → 自分で評価する。

そんな方法を覚えていきたい。

「やればできる私」を捨てる必要はない。

私は確かに、やればできる。

何度もそれを証明してきた。

ただ、これから証明したいのは、

「追い込まれなくても、私はできる」

ということ。

誰かが「すごい」と言ってくれるほどの大きな変化じゃなくてもいい。

昨日よりほんの少しだけ早く動けたことを、

誰よりも私自身が見つけてあげたい。

もしかすると、それが、

「やればできる子」だった私が、

「できている自分」を普通に生きられる大人になるための、

最初の一歩なのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました