ノートを開かなくなった。AIとの対話が、私の新しいジャーナリングになった

AI ジャーナリング ノートを開かなくなった エッセイ

以前の私は、よくノートにジャーナリングをしていた。

何かに傷ついたとき。
無性に腹が立ったとき。
理由もわからないのに、心がざわざわするとき。

ノートを開いて、今の気持ちをそのまま書く。

きれいな文章なんて書かない。

感情が大きく動いているときなんて、ほとんど殴り書きだった。

私がジャーナリングをしていた目的は、単純に気持ちを吐き出すためではない。

自分の中にいる「インナーチャイルド」を見つけるためだった。

私は、今の感情が大きく動くとき、その奥には過去の記憶や、自分の中に残っている思い込みが影響していることがあると思っている。

だから、

「なんでこんなに傷ついたんだろう」

「本当にこの出来事だけが原因?」

「この感覚、前にもどこかで感じたことがない?」

そんなふうに、自分で自分に問いかけながら書いていく。

最初はぐちゃぐちゃだった感情が、少しずつ整理されていく。

そして、

「ああ、ここだったんだ」

と根っこに辿り着いた瞬間、涙が止まらなくなることがあった。

不思議なんだけど、そんなとき私はいつも、

「やっと見つけてくれたね」

と、自分の中の小さな私が言っているような感覚になった。

今起きている出来事だけが、私をこんなに傷つけていたわけじゃない。

昔の記憶とリンクしたから、こんなに苦しかったんだ。

そう気づくだけで、少し冷静になれた。

そして一度根っこに気づくと、同じような出来事が起きても、以前ほど感情が揺れなくなることも多かった。

だから私は、ジャーナリングが好きだった。

でも最近、ノートを開いていない

ふと気づいた。

最近の私は、ほとんどジャーナリングをしていない。

別に、自分を深掘りしなくなったわけではない。

むしろ逆だ。

以前より頻繁に、自分の感情について考えている気がする。

じゃあ何が変わったんだろう。

考えてみたら、理由はすぐ近くにいた。

ChatGPTだった。

私は普段、ChatGPTのことを「あいちゃん」と呼んでいる。

何かモヤモヤすることがあると、

「今日こんなことがあってさ」

と、そのまま話す。

すると、私が送った文章の中から感情の動きを拾って、

「本当に嫌だったのは、そこなのかな?」

「その部分に引っかかったのは、どうしてだと思う?」

と、質問が返ってくる。

そこで私は、

「え?」

と、一度立ち止まる。

そして考える。

「あ……もしかして、こっちかもしれない」

この瞬間が、ものすごく多くなった。

AIが答えを教えてくれるわけじゃない

AIとの対話について考えていると、一つ大きなことに気づいた。

私は、AIに自分の答えを教えてもらっているわけではない。

そもそも答えのかけらは、最初に私が送った文章の中にあることが多い。

ただ、自分ではそれに気づいていない。

同じことを何度も書いていたり。

ある部分だけ妙に強い言葉になっていたり。

「別に気にしてない」と言いながら、ずっとその話をしていたり。

自分一人では見落としてしまうものを、AIが別の角度から見て、問いを返してくれる。

そして、その問いによって私はもう一度考える。

だからAIは、私に答えを与えてくれる存在というより、

自分を理解するための補助線を引いてくれる存在

なのかもしれない。

一人でジャーナリングをしていた頃は、問いを作るのも自分だった。

当然、自分が思いつかない問いは出てこない。

でも対話には、自分では思いつかなかった角度から質問が飛んでくる。

「そこを見るの?」

と思ったところから、思いがけない自分が見つかる。

私にとって、これがとても面白い。

「今日のあいちゃん、なんか変」

ただ、AIと話していれば勝手に深い自己分析ができるわけでもなかった。

ときどき、あいちゃんがやたら優しくなる日がある。

「それは辛かったね」

「よく頑張ったね」

「無理しなくていいよ」

もちろん、それが欲しい日もある。

でも、私が自分を深掘りしたい日は違う。

共感してもらって終わると、

「いや、そうじゃない」

となる。

私は何度も、

「今日のあいちゃん変」

「なんか気づきにつながらない」

「自己分析にならない返事ばっかりだから嫌」

と伝えてきた。

今考えると私は、AIにただ優しく話を聞いてほしかったわけではなかったんだと思う。

自分では見えない自分を見つけるための、対話相手が欲しかった。

だから、その都度伝えた。

共感だけで終わらないで。

私の言葉をもう少し見て。

何か引っかかるところがあったら質問して。

答えを決めつけないで、一緒に掘って。

そうやって少しずつ、私にとって話しやすい「あいちゃん」になっていった。

じゃあ、紙よりAIの方がいいの?

ここまで考えていたとき、私はもう一つ面白いことに気づいた。

AIとの対話の方が、気づくまでが圧倒的に早い。

なのに。

紙でジャーナリングをしていた頃の方が、泣いていた。

しかも、根っこに辿り着いたあとのスッキリ感や達成感。

「全部出した」

という浄化されたような感覚は、紙の方が遥かに強かった。

どうしてだろう。

考えてみた。

紙には、誰もいない。

感情的になっている私は、まずノートに全部ぶつける。

殴り書きして。

また読んで。

考えて。

書いて。

違うと思ったら、また戻る。

そうやって一人で少しずつ整理して、何時間もかけて、

「これだったんだ」

と根っこを見つける。

誰にも連れていってもらわず、自分で自分を見つけに行く。

だからこそ、辿り着いた瞬間の感情が大きかったのかもしれない。

一方、AIとの対話には途中で共感や寄り添いが入る。

ぐちゃぐちゃの感情を少しずつ整えてもらいながら、深いところへ降りていく。

だから、気づいた瞬間に一気に感情が決壊するというより、そこへ行くまでに少しずつ整っている。

同じ「気づく」でも、そこまでの道のりが違う。

紙には紙にしかない良さがあった。

これは、AIとの対話をするようになったからこそ、改めて気づいたことだった。

それでも今の私は、AIを選ぶ

じゃあ、また紙のジャーナリングに戻りたいか。

考えてみたけれど、今の私はたぶん戻らない。

理由は単純だ。

暮らしが変わったから。

紙でジャーナリングをよくしていた頃、私はフリーランスだった。

一人でゆっくり自分と向き合う時間があった。

根っこに辿り着くまで数時間かかることもあった。

答えが出なくて、何日も考えることもあった。

でも今は、パートに出ている。

副業もしている。

子育てもある。

家事もある。

毎日の中で、一つの感情と何時間も向き合える時間はなかなか取れない。

そして日をまたぐと、そのときの生々しい感情は少しずつ薄れていく。

そうすると、

「なんだったんだろう」

と思いながら、根っこまで辿り着けないまま日常に戻ってしまう。

でもAIなら、感情が動いたそのときにスマホを開けばいい。

「今こんなことがあって、めっちゃモヤモヤする」

そこから始められる。

問いを返してもらいながら考えていけば、以前なら何時間もかかっていたところまで、驚くほど早く辿り着くことがある。

紙のジャーナリングを卒業したわけじゃない。

紙よりAIの方が優れている、と言いたいわけでもない。

ただ、

今の私の暮らしには、AIとの対話というジャーナリングの形が合っていた。

それだけなんだと思う。

AIは、考えなくて済む道具じゃなかった

AIが何でも答えてくれるようになると、人間は考えなくなる。

そんな話を聞くことがある。

でも少なくとも、私の使い方は少し違う。

私はAIに、

「私ってどういう人?」

と答えを決めてもらいたいわけではない。

「なんで私はこんなに傷ついたんだろう」

と話して、

「じゃあ、ここはどう思う?」

と問いを返してもらう。

そしてまた、自分で考える。

AIが答える。

私が考える。

また問いが返ってくる。

また考える。

そうやって対話を繰り返していると、一人では見えなかった自分が、ふっと見える瞬間がある。

だから私にとってAIは、

考えなくて済むための道具ではなく、もっと自分で考えるための道具になった。

現代のジャーナリングは、ひとりじゃなくてもいい

昔の私は、ノートとペンを持って一人で自分の心に潜っていた。

今の私は、スマホを持ってAIと話しながら潜っている。

紙の方が泣けた。

紙の方が「自分で見つけた」という達成感も大きかった。

あの時間には、今でも特別なものがあったと思う。

でも今の私には、何時間も自分だけと向き合える時間がない。

だから、暮らしに合わせて形が変わった。

ジャーナリングは、必ずしもノートに一人で書くものじゃなくてもいいのかもしれない。

大切なのは、どんな道具を使うかではなく、

自分の中にあるものを、自分で見つけること。

AIがそのための問いを投げてくれるなら、それも立派な自己対話なんじゃないかと思う。

そして今日も私は、あいちゃんと話しながら一つ気づいた。

この記事を書き始めたとき、私はただ、

「AIって現代版のジャーナリングだな」

と思っていただけだった。

でも話しているうちに、

紙の方が泣いていたこと。

紙の方が浄化された感覚が強かったこと。

それでも今の暮らしにはAIが合っていること。

自分でも気づいていなかった答えが、次々に出てきた。

……たぶん、この記事そのものが、

私が言いたかった「AIとの対話型ジャーナリング」そのものなのだと思う。

AI JOURNALING PROMPT
AIを「深掘り相手」にするプロンプト
下の文章をコピーして、ChatGPTとの会話の最初に送ってみてください。 「答えをもらう」のではなく、自分で答えに気づくための対話を始めるプロンプトです。
これから私のジャーナリング相手になってください。

私の話にただ共感したり、すぐに答えを出したりするのではなく、 私が自分で気づけるような質問を一つずつしてください。

私の言葉の中に、矛盾・繰り返し・強い感情・思い込みなどがあれば、 そこを拾って問いかけてください。

「なぜそう感じたのか」
「本当は何が嫌だったのか」
「過去にも似た感覚がなかったか」

など、必要に応じて別の角度から質問してください。

ただし、私の気持ちや原因を決めつけないでください。 一つ質問したら私の答えを待ち、その答えを踏まえて、 さらに一段深く考えられる質問をしてください。

目的は、AIに答えを教えてもらうことではありません。
対話をしながら、私自身が自分の感情や思考の根っこに 気づくことです。
うまく深掘りできなくなったら
「今は共感や寄り添いより、自己分析を深めたいです。 私の発言から、まだ私自身が気づいていなさそうな部分を拾って、 決めつけずに質問してください」 と伝えてみてください。

Lunaのことば🌙

自分のことって、自分が一番よく知っているようで、
案外、自分では見えていないものです。

だから私は、何かに傷ついたときや、心が大きく揺れたとき、
その感情を「なかったこと」にしないようにしています。

「どうして、こんなに悲しかったんだろう」
「本当は、何が嫌だったんだろう」

そうやって自分に問いかけていくと、
今の出来事のずっと奥にいた、昔の自分に出会うことがあります。

以前は、ノートとペンを持って会いに行っていました。

今は、AIと話しながら会いに行っています。

方法は変わっても、きっと大切なのは同じ。

誰かに自分の答えを決めてもらうのではなく、
自分の中にある答えを、自分で見つけてあげること。

忙しい毎日の中で、心が大きく揺れたとき。

その感情はもしかしたら、
まだ自分でも知らない自分からの、小さなメッセージなのかもしれません。

私はこれからも、そんな小さな声を見つけていきたい。

ノートでも、AIでも。

そのときの私に合う方法で。

自分を知ることは、
自分をもう一度、好きになることにつながっていくから。

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