夢中になれるものを見つけたのに、なぜか少し孤独になった

夢中になれる 孤独 エッセイ

何かに夢中になっているときほど、誰かに話したくなることがある。

「今日こんなこと思いついたんよ」

「この記事、結構いい感じに書けた」

「次はこんな動画作ろうと思っとる」

別に、褒めてほしいわけじゃない。

「すごいね」って言ってほしいわけでもない。

ただ、自分の中にある、

「これ、めっちゃ楽しい!」

という気持ちを、誰かと一緒に味わいたい。

でも最近、そういう話を誰かにしたあと、なぜか少しだけ寂しくなることがあった。

「へぇ、すごいな」

そこで、会話が終わってしまう。

もちろん、相手が悪いわけじゃない。

興味のないことについて熱く語られても、同じ温度で返せないのは当たり前だと思う。

それなのに、どうして私はこんなに寂しいんだろう。

考えていたら、昔のことを思い出した。

私が欲しかったのは「すごいね」じゃなかった

以前、親友と二人でブログやYouTubeをやっていた時期があった。

私が何かを始めると、

「それ面白そう。私もやってみようかな」

と親友も始めることがよくあった。

そして、二人でずっと話していた。

「これ、伸びたで」

「じゃあ次これやってみる?」

「こっちの方がいいんじゃない?」

一つ試して、数字を見る。

うまくいかなかったら、

「なんでじゃろ?」

と二人で考える。

また違うことを試してみる。

そんな話なら、何時間でもできた。

もちろん、数字が伸びたときは嬉しかった。

結果が出れば二人で喜んだ。

でも今振り返ってみると、

私が本当に好きだったのは、結果だけじゃなかったのかもしれない。

同じ方向を見ながら、一緒に試行錯誤している時間そのものが楽しかった。

だから今、

「すごいな」

と言ってもらっても、どこか物足りなかったんだと思う。

欲しかったのは評価ではなかった。

「それ、どういうこと?」

「じゃあ次はどうするん?」

「私だったらこうしてみるかも」

そんなふうに、

自分が夢中になっている世界に、一緒に入ってきてくれる人が欲しかった。

同じ人なのに、話が合わなくなることもある

今は、私も親友もパートに行っている。

そして私は仕事の合間に、またブログを書き始めた。

YouTubeも作り始めた。

日常の中で何か気づくたびに、

「あ、これ記事にできそう」

と思う。

動画を一本出したら数字を見て、

「なんでここから伸びたんだろう」

と考える。

次はこうしてみよう。

いや、こっちの方がいいかもしれない。

そんなことを考えている時間が、今はものすごく楽しい。

だから当然、誰かに話したくなる。

親友にも、

「こんな記事書いたんよ」

「最近これがめっちゃ楽しくてさ」

と話す。

でも今、親友は副業や発信をしていない。

だから返ってくるのは、

「そうなん。すごいな」

だったりする。

昔だったら、

「じゃあ私もやってみようかな」

「それなら、こうしたら?」

と続いていた会話が、そこで終わる。

それが少し寂しかった。

でも、よく考えたら当たり前なんだと思う。

親友との関係が悪くなったわけでもない。

お互いが変わってしまったわけでもない。

今、夢中になっているものが違う。

ただ、それだけだった。

自分だけのものが増えるほど、孤独になることがある

しかも今回は、

昔みたいに、

「これやったら伸びるかもしれんで。やってみたら?」

と簡単に勧めることもできない。

今、私がブログに書いているものは、

誰かから教えてもらった方法を、そのまま使って作っているわけではないからだ。

私は昔から、どうでもいいことまで考え込む。

「あの人は、なんであんなことを言ったんだろう」

「私は、なんでこんなことで傷ついたんだろう」

「あの出来事って、結局なんだったんだろう」

一つの出来事があると、

そのまま流せずに、ずっと考える。

正直、この性格が嫌だったこともある。

考えなくていいことまで考えて、

勝手に疲れて、

「もっと何も考えずに生きられたら楽なのにな」

と思ったことも何度もある。

でも今は、

その「考えすぎる性格」から生まれた気づきを文章にしている。

昔は欠点だと思っていた部分が、

少しずつ、

自分にしか作れないものの材料になり始めた。

そう考えたとき、

夢中になればなるほど少し孤独になる理由が、分かった気がした。

自分の道を見つけると、同じ道を歩けない瞬間もある

自分にしか作れないものが増えるということは、

誰かとまったく同じことをするのが難しくなるということでもある。

自分の好きなもの。

自分が面白いと思うこと。

自分が何時間でも考えていたいこと。

それがはっきりしてくるほど、

隣にいる人と進む方向が少し違ってくることもある。

私は以前、

「同じ人と、ずっと同じものを好きでいられること」

が、仲がいいということだと思っていたところがあった。

でも、たぶん違う。

大切な人だからといって、

人生のすべてを共有できるわけではない。

そして、

共有できないものができたからといって、その人との関係が薄くなったわけでもない。

親友は、これからも親友だ。

くだらない話をして笑うこともできる。

家族の話もできる。

昔の話もできる。

ただ今の私には、それとは別に、

「今日の記事、めっちゃいいのできた!」

と言った瞬間、

「どんな記事!?見せて!」

と返してくれる人がいたら嬉しい。

「この数字、なんでこうなったと思う?」

と言ったら、

一緒になって考えてくれる人がいたら楽しい。

それは、

今までの大切な人の代わりを探すということではない。

今までとは違う自分が生まれたから、その自分で話せる人も必要になった。

ただ、それだけなのかもしれない。

すべてを一人の人に分かってもらわなくていい

人生が広がっていけば、

話したいことも増えていく。

くだらない話をしたい日もある。

家族のことで愚痴りたい日もある。

仕事の話をしたい日もある。

そして、

何かを作ることについて、

何時間でも話したい日もある。

その全部を、

同じ一人の人に分かってもらおうとしなくてもいい。

人によって、

一緒に楽しめる自分が違っていてもいいのだと思う。

そう考えると、

「どうして分かってくれないんだろう」

という寂しさも、

少し違って見えてくる。

その人が分かってくれないのではなく、

その話を一緒に楽しめる人に、まだ出会っていないだけなのかもしれない。

孤独を感じたら、新しい場所に来たサインかもしれない

何かに夢中になったとき、

今まで一緒にいた人と話が合わなくなったように感じることがある。

「私だけこんなことに夢中になってる」

「この楽しさを誰にも分かってもらえない」

そんな瞬間は、少し寂しい。

でも、その孤独を、

「一人になってしまった」

という意味だけで受け取らなくてもいいのかもしれない。

もしかするとそれは、

今までとは違う場所まで、自分が歩いてきたというサイン。

そして、その場所には、

今まで出会わなかった人たちがいるのかも。

同じように何かを作ることが好きな人。

一つのことについて、何時間でも考える人。

結果だけじゃなく、

「なんでこうなったんだろう?」

と考える過程そのものを楽しめる人。

今はまだ、その人たちに出会っていないだけ。

だったら私は、

寂しいから元の場所に戻るのではなく、

もう少し、この道を歩いてみたい。

今日の私ができること

だから今日も、

私は書いてみようと思う。

自分が面白いと思ったことを。

考えすぎてしまったことを。

その中から見つけた、小さな気づきを。

今すぐ、

同じ温度で話せる人が隣にいなくてもいい。

発信していれば、

いつかどこかで、

「私もこういう話したかった」

と思ってくれる人に届くかもしれない。

そして、その人と出会えたとき、

今感じているこの少しの孤独にも、

意味があったと思えるのかもしれない。

🌙 Lunaのことば

夢中になれるものを見つけると、

少し孤独になることがある。

それは、

大切な人と離れてしまったからではなく、

今までとは違う場所へ、

自分が歩き始めたからなのかもしれない。

分かってもらえないからと、

好きなものを小さくしなくていい。

そのまま歩いていけば、

いつか、

同じ景色を面白がってくれる人に

出会えるのかもしれないから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました