当たり前にあるものほど、その大切さにはなかなか気づけない。
毎日使っているもの。
いつもそばにいる人。
何気なく過ごしている時間。
それが「あること」が普通になってしまうと、ありがたいなんて考えることすらなくなってしまいます。
最近、私はそれを身近な出来事から実感しました。
きっかけは、ずっと使っていたパソコンが壊れたことでした。
パソコンが使えることなんて、当たり前だと思っていた
私にとってパソコンは、ずっと身近な存在でした。
文章を書いたり、仕事をしたり、ブログを触ったり。
何かを調べたり、新しいことを始めたり。
特別なものというより、そこにあって当たり前のもの。
だから、
「パソコンが使えるってありがたいな」
なんて、普段はほとんど考えたことがありませんでした。
でも、ある日突然それが使えなくなりました。
今まで普通にできていたことが、できない。
「使いたい」と思った時に使えない。
たったそれだけなのに、思っていた以上に不便でした。
そこで初めて、
私はこんなにパソコンを使っていたんだ。
ということに気づきました。
失って初めて分かることがある
よく、
「失って初めて大切さに気づく」
と言います。
昔は少し大げさな言葉にも感じていました。
でも、実際に自分が経験すると、本当にそうなんだと思います。
何も問題なく使えている時は、それが普通。
毎日そこにあるから、ありがたさなんて考えない。
でも、一度なくなってみると、
「あれがあるって、すごく便利だったんだな」
「当たり前じゃなかったんだな」
と気づきます。
これはきっと、物だけの話ではありません。
家族と一緒に過ごせること。
普通に仕事へ行けること。
好きなものを食べられること。
何気なく笑えること。
いつもの毎日には、自分が気づいていない「ありがたいこと」がたくさんあるんだと思います。
完璧に元通りじゃなくても、また使えるようになった
私のパソコンは、完全に元通りになったわけではありません。
使えなくなってしまった部分もあります。
それでも、外部のキーボードをつないで、Bluetoothのマウスを使って、モニターにも接続してみました。
すると、ちゃんと使える。
以前とは少し違う形だけど、またパソコンで作業ができるようになりました。
久しぶりにデスクに座ってキーボードを叩いていると、
「やっぱり、これ楽しいな」
と思いました。
パソコンが使える。
文章を書ける。
自分の考えていることを形にできる。
以前なら何とも思わなかったことが、なんだかすごく嬉しく感じました。
使えなかった時間があったから、新しいことをやってみたくなった
そしてもう一つ、意外な変化がありました。
パソコンがまた使えるようになった時、
「せっかくだから、いろんなことをやってみたい」
と思ったんです。
ブログを書いてみよう。
また動画も作ってみよう。
ナレーションも録ってみよう。
自分がこれまで経験してきたことを、もっと形にしてみよう。
以前なら、
「また今度でいいか」
と思っていたかもしれません。
でも、一度「できない」を経験したからなのか、
できる時にやってみたい。
そう思えるようになりました。
うまくいかない出来事にも、その先があるのかもしれない
もちろん、パソコンが壊れたこと自体は嬉しい出来事ではありません。
普通に困りました。
できることなら、壊れない方がよかったです。
でも、その出来事があったから気づけたこともありました。
今まで当たり前だったものの大切さ。
自分が本当は何をするのが好きなのか。
そして、
「もう一度やってみよう」
と思えたこと。
嫌な出来事が起きた時、その瞬間には「最悪だ」としか思えないことがあります。
でも少し時間が経って振り返ってみると、
あの出来事があったから、気づけたこともあったな。
と思えることがあります。
すべての出来事を無理やり前向きに捉える必要はないと思います。
嫌なことは、嫌なことでいい。
悲しい時は、悲しくてもいい。
それでも、その出来事の先で何か一つでも新しい気づきを見つけられたなら、経験したことは全部が無駄だったわけではないのかもしれません。
当たり前の毎日は、本当は当たり前じゃない
今回の出来事を通して、私は少しだけ日常を見る目が変わりました。
パソコンが使える。
好きな文章を書ける。
自分のやりたいことに挑戦できる。
そんな普通の一日が、今は少し嬉しい。
きっとこれからまた時間が経てば、この感覚にも慣れてしまうと思います。
それでも時々、
「今あるものって、本当に当たり前なのかな?」
と考えてみたい。
なくなってから大切さに気づくのではなく、
今ここにあるうちに、その大切さに気づける自分でいたい。
今回の出来事から、私はそんなことを思いました。
🌙 Lunaのことば

当たり前にあるものは、
そこにある間は、その大切さに気づきにくい。
でも一度失ってみると、
今まで見えていなかった「ありがたい」が見えてくることがあります。
そして、もう一度手にできた時、
同じものなのに、以前より少しだけ輝いて見える。
できることを、
「いつでもできるから」と後回しにしない。
会える人を、
「いつでも会えるから」と当たり前にしない。
今あるものを大切にしながら、
やってみたいと思ったことには、一歩踏み出してみる。
今日という普通の一日は、
本当はたくさんの「ありがたい」でできているのかもしれません。



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