人生って、不思議だなと思う。
そのときは、
「これ、何のためにやってるんだろう」
と思っていたことが、何年か経ってから突然役に立つことがある。
最近の私は、まさにそれを感じています。
今、私は「KIZUKI」という小さなメディアを育てています。
自分が実際に経験したことや、その中で感じたこと、そこから生まれた気づきを文章にして届ける場所です。
毎朝パソコンを開いて記事を書きながら、最近よく思います。
今までやってきたこと、全部ここにつながっていたのかもしれないな。
何年も文章を書いてきた
以前の私は、Webライターとして仕事をしていました。
簡単に言えば、インターネット上の記事を書く仕事です。
自分が好きなことを自由に書くのではなく、
「どんなことを知りたくて、この記事を読むんだろう?」
と、読む人の気持ちを考えながら文章を書く必要がありました。
たとえば、何かに悩んでインターネットで検索したとき。
せっかく記事を開いたのに、いつまで経っても知りたい答えが出てこなかったら、読むのをやめてしまいますよね。
だから、
「この人は何を知りたいんだろう」
「どう書いたら分かりやすいだろう」
そんなことを何年も考えながら文章を書いてきました。
当時はそれが仕事だったから、必死に覚えただけでした。
まさか、その経験を自分のメディアで使う日が来るなんて思っていませんでした。
自分でメディアを作って、うまくいかなかったこともある
過去には、自分でブログのようなメディアを運営したこともあります。
記事を書いて、商品やサービスを紹介して。
「これで収入につながったらいいな」
と思いながら続けていました。
でも、思ったような結果にはなりませんでした。
時間をかけて記事を書いても、ほとんど読まれないこともある。
紹介したものから、一度も収入につながらないこともある。
あの頃は、
「こんなにやったのに、意味なかったな」
と思ったこともありました。
でも今考えると、その経験があったからこそ、
「ただ記事を書くだけでは、読んでもらえないこともある」
ということを知っています。
失敗したから覚えたことが、たくさんありました。
YouTubeをやった経験も、今につながっている
YouTubeにも挑戦しました。
たくさんの人に見てもらえた動画もあれば、時間をかけて作ったのに、ほとんど見てもらえなかった動画もあります。
「どうしたら最初の数秒で興味を持ってもらえるんだろう」
「どんなタイトルなら見てみたいと思うんだろう」
そんなことを何度も考えました。
これも当時は、YouTubeのために覚えていたことです。
でも今は、記事を書くときにも役立っています。
タイトルを見た人が、
「ちょっと読んでみようかな」
と思えるか。
読み始めた人が途中で、
「もういいや」
とページを閉じてしまわないか。
使う場所が変わっただけで、考えていることは意外と同じでした。
数字を見ることも、いつの間にか覚えていた
最近は、KIZUKIの記事を公開したあと、
「今日は何人くらい読んでくれたんだろう」
「どの記事がよく読まれているんだろう」
と数字を見るのも楽しみのひとつになっています。
インターネットでは、こうしたことをある程度確認できます。
どの記事が読まれたのか。
検索から来てくれたのか。
YouTubeやSNSから来てくれたのか。
そういう数字を見ながら、
「この記事に興味を持ってくれる人がいるんだ」
「じゃあ、今度はこんな記事を書いてみようかな」
と考えています。
昔の私だったら、こんな数字を見ても何が何だか分からなかったと思います。
でも、これまでブログやYouTubeを何度もやってきたから、少しずつ分かるようになりました。
ひとつひとつは、バラバラだった
文章を書く仕事。
自分で作ったメディア。
YouTube。
うまくいかなかった挑戦。
誰にも読まれなかった記事。
思うような結果が出なかった時間。
そのときの私には、全部バラバラの出来事に見えていました。
うまくいかなかったものについては、
「遠回りしたな」
と思っていたこともあります。
でも今、KIZUKIを育てながら振り返ってみると、そのバラバラだった経験が少しずつ一本の線になっています。
文章を書く経験がある。
読む人の気持ちを考えることも知っている。
動画を作ったこともある。
数字を見ながら改善することも少し分かる。
そして何より、
うまくいかない時期を経験したことがある。
それさえも、今の私には必要だったのかもしれません。
遠回りだったかどうかは、そのときには分からない
人生には、
「こんなことして何になるんだろう」
と思う時期があります。
仕事を辞めたこと。
挑戦して失敗したこと。
途中で諦めたこと。
思い通りにならなかったこと。
その瞬間だけを見れば、「無駄だった」と思うこともあるかもしれません。
でも、その経験が何年後にどこで使われるかなんて、そのときには分からない。
私も、昔書いていた一本の記事が、今のKIZUKIにつながるなんて思っていませんでした。
YouTubeで悩んだ時間が、文章を書くときに役立つとも思っていませんでした。
失敗したメディア運営の経験を、もう一度自分のメディアを育てるために使うとも思っていませんでした。
だから最近は、少しだけ思うようになりました。
人生には、あとから意味が分かる経験もあるのかもしれない。
今、自分が遠回りしているように感じていても。
周りだけが先に進んでいるように見えても。
今やっていることが何につながるのか分からなくても。
まだ、その経験の「使い道」が来ていないだけなのかもしれません。
私の遠回りも、何年も経って、ようやく少しずつつながり始めました。
🌙 Lunaのことば

人生を歩いている途中では、点はただの点にしか見えません。
「あの時間は無駄だった」
「あの失敗は必要なかった」
そう思うこともあります。
でも、ずっと先まで歩いて振り返ったとき、
「ああ、ここにつながっていたんだ」
と初めて分かることがある。
だから、今は意味が分からない経験も、無理に答えを出さなくていいのかもしれません。
いつか別の場所で、今日の経験と未来の何かがつながる日が来るかもしれないから。



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