私には、長い付き合いの親友がいる。
Tomoという。
私たちは、かなり性格が違う。
私は、人の感情を考えすぎるタイプだ。
誰かの返事が少し短いだけで、
「怒ってる?」
と思うことがある。
いつもと少し雰囲気が違えば、
「私、何かしたかな」
と考える。
相手の言葉そのものより、
その奥にある感情まで読もうとしてしまう。
Tomoは、真逆だ。
私が、
「この人、たぶんこう思っとるんよ」
と話しても、
「なんでそこまで考えるん?」
と返ってくる。
私が人間関係でぐるぐる悩んでいると、
「気にしすぎじゃろ」
で終わる。
昔からそうだった。
私はときどき思う。
なんでこんなに違うのに、私たちはずっと親友なんだろう。
人間関係って、
「分かり合える人とうまくいくもの」
だと思っていた。
価値観が同じ。
考え方が同じ。
好きなものが同じ。
嫌いなものも同じ。
「分かる、私も!」
がたくさんある人ほど、相性がいい。
なんとなく、そんなイメージがあった。
でも私とTomoを見ていると、
どうもそうでもないらしい。
私は人の感情を拾いすぎる。
Tomoは、拾わなさすぎる。
私は考えすぎる。
Tomoは、
「考えても分からんもんは分からん」
で終われる。
同じ出来事が起きても、受け取り方がまるで違う。
それでも、ずっと一緒にいる。
むしろ、違うから助かったこともたくさんある。
私が、
「あの人の言い方、どういう意味だったんかな」
と悩んでいると、
Tomoはあっさり、
「別に意味ないんじゃない?」
と言う。
私はその答えに、
「いや、でも……」
と言いながら、
少しだけ救われている。
自分の頭の中では、
Aかもしれない。
Bかもしれない。
いや、もしかしたらCかもしれない。
と、どんどん選択肢が増えていたのに、
Tomoは突然、
「そもそも何もないんじゃない?」
という選択肢を持ってくる。
私一人では、なかなか出てこない答えだ。
逆もある。
Tomoが、
「なんでこの人こんなことで怒っとるん?」
と言ったとき、
私は、
「たぶん怒っとるんじゃなくて、寂しかったんじゃない?」
と答える。
するとTomoが、
「あー、そういうこと?」
と言う。
同じものを見ても、
私には見えるものがTomoには見えない。
Tomoに見えるものが、私には見えない。
それでいいのかもしれない。
考えてみれば、
長く一緒にいるために必要なのは、
同じように感じることではないのかもしれない。
相手が自分と違う感じ方をしたときに、
「なんで分からないの?」
ではなく、
「あなたには、そう見えるんだね」
と思えること。
そのほうが、ずっと大切なのかもしれない。
これは、恋愛でもよくある。
自分が不安なとき、
相手にも同じくらい不安になってほしいと思う。
自分が寂しいとき、
相手にも同じくらい寂しがってほしい。
私はこんなに会いたいのに、
どうして平気なの?
私はこんなに考えているのに、
どうして何も考えていないの?
そんなふうに、
「同じ気持ちじゃない=愛されていない」
に変換してしまうことがある。
でも、本当にそうなんだろうか。
寂しさの感じ方が違うだけかもしれない。
不安になるポイントが違うだけかもしれない。
愛情を感じる方法が違うだけかもしれない。
相手が自分と同じ反応をしないからといって、
気持ちまでないとは限らない。
もちろん、
「違っていても全部我慢しよう」
という話ではない。
大切にしているものがあまりにも違えば、離れたほうがいい関係だってある。
傷つけられているのに、
「価値観が違うだけ」
と耐える必要もない。
でも、
違うことと、大切にされていないことは別だ。
ここを同じにしてしまうと、
本当はうまくいくはずだった関係まで苦しくなることがある。
私はたぶん、これからもTomoのことを完全には理解できない。
Tomoも、私がどうしてそこまで人の言葉を気にするのか、完全には理解できないと思う。
それでもいい。
「分からないけど、そうなんだね」
で終われることがある。
そして不思議なことに、
分からない部分があるからこそ、
自分にはなかった考え方をもらえる。
もしTomoが私とまったく同じ性格だったら、
私が、
「嫌われたかな」
と言ったとき、
Tomoまで、
「絶対そうじゃわ」
と言っていたかもしれない。
二人で一緒に落ち込んで、
二人で勝手に結論を出して、
二人で人間関係を壊していたかもしれない。
それはそれで、ちょっと怖い。
「分かり合える人に出会いたい」
そう思うことはある。
自分の気持ちを説明しなくても分かってくれる人がいたら、きっと楽だと思う。
でも最近は、
それだけが深い関係ではないと思うようになった。
分からない。
同じようには感じられない。
それでも、
「あなたはそう感じるんだね」
と隣にいられる。
もしかすると、
分かり合えることより、分からないまま一緒にいられることのほうが難しい。
そして、その難しいことができる相手こそ、
長く一緒にいられる人なのかもしれない。
私とTomoは、今日もたぶん分かり合っていない。
私が何かを考えすぎて、
Tomoが、
「また考えすぎとるで」
と言う。
私が、
「いや、これは考えるじゃろ」
と言い返す。
たぶん、これからも変わらない。
でも、それでいい。
同じにならなくても、
隣にはいられる。
親友でも。
恋人でも。
家族でも。
本当に大切なのは、
「私と同じように感じてくれる人」を探すことではなく、
「私とは違うあなた」を、そのまま知ろうとできることなのかもしれない。
完全に分かり合えなくても、
大切にし合うことはできる。
私は真逆な親友と長く一緒にいて、
そんなことを教えてもらった。
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